松ヶ根親方の現在は誰?若嶋津から玉力道へ継承の歴史と改称の真相
大相撲の歴史において、数々の名力士を輩出し独自の存在感を放ってきた年寄名跡「松ヶ根」。昭和の大関・若嶋津と元人気歌手・高田みづえさん夫妻が二人三脚で築き上げた「松ヶ根部屋」の記憶は、相撲ファンのみならず多くの人々の心に強く刻まれています。
しかし、名跡の継承や相撲部屋の改称、さらには一門の再編を経て「現在の松ヶ根親方は誰なのか」「かつての松ヶ根部屋はどうなったのか」と疑問を持つ方も少なくありません。本稿では、現在の松ヶ根親方の活動をはじめ、歴代の変遷、部屋改称の真相、そして高田みづえさんとの絆に至るまで、確かな事実関係をもとに分かりやすく解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:現在の松ヶ根親方は元幕内・玉力道であり、放駒部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。
- 要点2:元大関・若嶋津(日高六男氏)が名門「二所ノ関」を襲名したことで、松ヶ根部屋は二所ノ関部屋へ改称され、現在は放駒部屋へと系譜が引き継がれている。
- 要点3:おかみさんとして部屋を支えた高田みづえさんの献身や、定年退職を迎えた元若嶋津の現在など、名跡を巡るドラマは今なお大相撲の歴史に息づいている。
【2026年最新】現在の松ヶ根親方は誰?元幕内・玉力道の経歴と活動状況
2026年現在、年寄名跡「松ヶ根」を襲名しているのは、元幕内・玉力道(本名:安喜ノ誉 弘幸)です。東京都江戸川区出身の玉力道は、名門・明治大学相撲部を経て角界入りし、鋭い立ち合いと前に出る力強い押し相撲を武器に幕内上位で活躍しました。
現役引退後は相撲協会に残り、後進の育成に尽力。2014年12月、当時の松ヶ根親方(元大関・若嶋津)が「二所ノ関」を襲名したタイミングで名跡を引き継ぎ、第10代松ヶ根親方として正式に就任しました。
日本相撲協会における現在の役割としては、元関脇・玉乃島が師匠を務める放駒部屋の部屋付き親方として、若手力士への技術指導や生活指導を担当しています。また、本場所では審判委員などを務め、土俵内外で大相撲の公正な運営を支えるベテラン親方として、親方衆や力士たちからも厚い信頼を寄せられています。

歴代松ヶ根親方の系譜と名跡の歴史|若嶋津が築いた黄金期
年寄名跡「松ヶ根」は、江戸時代から続く由緒ある名跡の一つです。昭和から平成にかけてこの名跡を全国的に広く知らしめたのが、第9代松ヶ根親方となった元大関・若嶋津でした。
「南海の黒豹」と称された若嶋津は、端正な顔立ちと豪快かつスピード感あふれる取り口で絶大な人気を誇りました。1987年の引退と同時に松ヶ根を襲名し、二所ノ関部屋付き親方を経て、1990年2月に独立。千葉県船橋市に「松ヶ根部屋」を創設しました。
部屋創設後は、叩き上げの力士を熱心に育成。元幕内・松鳳山をはじめとする個性派力士や関取を次々と育て上げ、二所ノ関一門の中核を担う有力部屋へと押し上げました。厳しくも温かい指導方針は、昭和から平成の相撲界において高く評価されています。
| 項目 | 詳細・事実関係 | 一般的な見方・経緯 | 専門的な評価・位置づけ |
|---|---|---|---|
| 第9代 松ヶ根 (元大関・若嶋津) | 1987年襲名~2014年変更。 1990年に松ヶ根部屋を興す。 | 高田みづえさんと共に人気部屋を築いた名親方。 | 松鳳山などを育成し、一門の柱として強固な基盤を構築。 |
| 第10代 松ヶ根 (元幕内・玉力道) | 2014年12月に正式襲名。 現・放駒部屋付き親方。 | 二所ノ関部屋・放駒部屋を支える実力派親方。 | 学生相撲出身の理論派として、若手の押し相撲指導に定評。 |
| 部屋名の変遷 | 松ヶ根部屋 ➔ 二所ノ関部屋 ➔ 放駒部屋(2021年末〜) | 「松ヶ根部屋の名前がなくなった」と話題に。 | 一門の総帥名跡(二所ノ関)の復活と継承に伴う正当な改称。 |
高田みづえさんが支えた「松ヶ根部屋」の温もりと家族の絆
松ヶ根部屋を語る上で欠かせないのが、元若嶋津の妻である高田みづえさんの存在です。『硝子坂』や『そんなヒロシに騙されて』などの大ヒット曲で知られたトップアイドル歌手が、人気絶頂の中で角界へ嫁ぎ「おかみさん」となったニュースは、昭和の芸能界・スポーツ界に大きな衝撃を与えました。
高田みづえさんは華やかな芸能生活を完全に退き、新弟子たちの食事管理からメンタルケア、後援会への気配りまで、部屋の裏方を一手に担いました。当時のテレビ特番や関係者の証言によると、「相撲部屋は家族そのもの。弟子たちは我が子と同じ」という強い信念を持ち、ホームシックにかかる10代の若い力士たちを温かく包み込んでいたと伝えられています。
2017年に元若嶋津(当時・二所ノ関親方)が路上で倒れ、緊急搬送されるという大きな試練に見舞われた際も、みづえさんは懸命な看病とリハビリを献身的に支え続けました。長男の勝信さんや、タレント・女優として活躍する長女のアイリさんら家族の結束力は、ファンの間でも広く称賛されています。

なぜ消滅した?松ヶ根部屋が「二所ノ関部屋」「放駒部屋」へ改称された理由
相撲ファンから親しまれていた「松ヶ根部屋」という名称がなぜ姿を消したのか、その背景には二所ノ関一門の伝統と名跡継承に関する重要な事情がありました。
かつて一門の総本山であった「二所ノ関部屋」は、2013年に名跡の継承者が不在となったことで一時閉鎖状態となっていました。伝統ある看板が途絶えることを憂慮した一門の重鎮たちが協議を重ねた結果、一門の有力な支柱であった第9代松ヶ根親方(元若嶋津)に白羽の矢が立ちました。
2014年12月、元若嶋津が第12代二所ノ関を襲名。これに伴い、自身が率いていた「松ヶ根部屋」の名称を、由緒ある「二所ノ関部屋」へと改称したのです。これが「松ヶ根部屋」の看板が外れた真相であり、部屋が解散・消滅したわけではありません。
さらにその後、元若嶋津の停年(定年退職)が近づいた2021年末、名跡「二所ノ関」は元横綱・稀勢の里へと引き継がれました。これに伴い、元若嶋津の部屋は元関脇・玉乃島が継承して「放駒部屋」と改称。松ヶ根部屋の伝統と弟子たちは、現在も放駒部屋の中で脈々と生き続けています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解を徹底検証
インターネット上やSNSでは、松ヶ根部屋や松ヶ根親方に関して一部で誤解や憶測が見受けられます。現場の事実関係に基づき、代表的な誤認を整理します。
- 誤解1:松ヶ根部屋は経営難などで潰れた?
事実ではありません。前述の通り、一門の伝統名跡である「二所ノ関」の看板を復活・継承するための発展的改称でした。 - 誤解2:松ヶ根の名跡は現在使われていない?
名跡は途絶えておらず、元幕内・玉力道が正式に襲名して相撲協会に在籍しています。現在は部屋の師匠ではなく「部屋付き親方」として活動しているため、本場所のテレビ中継などで部屋名として表記されないことが誤解の原因となっています。 - 誤解3:高田みづえさんは現在もおかみさんを務めている?
夫である元若嶋津の停年退職(2022年1月)に伴い、おかみさんとしての公的な役割は退任されています。現在は療養と家族の時間を優先した穏やかな生活を送っています。
【プロの結論】大相撲組織における「名跡継承」の重みと教訓
相撲界における名跡の移譲や部屋の改称は、単なる名称変更にとどまらず、一門の歴史や格式、師弟関係の強い絆が複雑に絡み合っています。元若嶋津から玉力道への松ヶ根名跡の引き継ぎ、そして名門・二所ノ関の再興という一連の流れは、大相撲が伝統組織として看板を守りつつ、次世代へとバトンを繋ぐ巧みな知恵と構造を示しています。

【松ヶ根親方】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:現在の松ヶ根親方は誰ですか?
A1:元幕内・玉力道(安喜ノ誉 弘幸)です。現在は放駒部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっています。
Q2:元若嶋津と高田みづえさんは現在どうされていますか?
A2:元若嶋津は2022年1月に日本相撲協会を定年退職しました。2017年に倒れて以降はみづえさんの献身的な支えのもとリハビリを続け、現在は家族とともに穏やかな日々を過ごしています。
Q3:かつての松ヶ根部屋の建物や弟子はどうなりましたか?
A3:千葉県船橋市にあった部屋の施設や弟子たちは、二所ノ関部屋への改称を経て、現在は元関脇・玉乃島が率いる「放駒部屋」へと引き継がれています。
Q4:松ヶ根親方(玉力道)の指導評判はどうですか?
A4:大学相撲出身ならではの論理的な押し相撲の技術指導に加え、誠実で温厚な人柄から、放駒部屋の若手力士や協会関係者から厚い信頼を得ています。
まとめ:伝統名跡「松ヶ根」が紡ぐ大相撲の未来
大相撲の歴史を彩ってきた年寄名跡「松ヶ根」は、元大関・若嶋津と高田みづえさん夫妻が築いた温かい部屋の記憶とともに、現在は元幕内・玉力道へとしっかりと受け継がれています。
部屋の名称自体は「二所ノ関部屋」を経て「放駒部屋」へと形を変えましたが、そこで培われた相撲道と情熱は、今も土俵の上で汗を流す力士たちの中に息づいています。伝統ある名跡を守り、次代の力士を育て続ける松ヶ根親方の今後の活躍に、ぜひ注目してみてください。 (出典: 松 ヶ 根 親方(Yahoo!ニュース))