今くるよさんの死因と現在語り継がれる絆|「どやさ」の真実
昭和から平成にかけて、上方漫才のトップランナーとして日本中に笑いを届けた「今いくよ・くるよ」の今くるよさん。派手な衣装とお腹をポンと叩いて発する「どやさ!」のフレーズは、世代を超えて親しまれました。2024年5月27日、76歳で惜しまれつつ旅立たれて以降も、その圧倒的な存在感と温かい人柄は色あせることなく、多くの後輩芸人やファンによって語り継がれています。
相方である今いくよさんが2015年に胃がんで先立ってから約9年。闘病の末に訪れた最期の瞬間や、相方の命日と重なるような運命的な別れ、そして遺された数々の名言と弟子たちへの愛情など、今なお知られざるエピソードが多く存在します。生涯を漫才に捧げた今くるよさんの知られざる足跡と、病状の真実を詳細に振り返ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:今くるよさんの死因は膵神経内分泌腫瘍(享年76)。相方・今いくよさんの命日前日にあたる2024年5月27日に息を引き取った。
- 要点2:高校時代のソフトボール部バッテリーから始まった二人の絆は半世紀以上続き、「どやさ」は日常の京都弁から生まれた奇跡のギャグだった。
- 要点3:中川家をはじめとする多くの後輩芸人を金銭的・精神的に支え続けた「上方演芸界の母」としての功績は現在も極めて高く評価されている。
【真相】今くるよさんの死因と病状の全貌|闘病生活と最期の瞬間
吉本興業の公式発表によると、今くるよさんは2024年5月27日午後9時19分、大阪市内の病院で膵(すい)神経内分泌腫瘍のため逝去しました。満76歳でした。
一部のネット上や報道初期には「膵臓がん」と混同されるケースも見られましたが、正確な医学的診断名は膵神経内分泌腫瘍(NET)です。これは膵臓のホルモンを分泌する細胞から発生する比較的まれな腫瘍で、一般的な膵管がんと比較して進行が緩やかな場合もある一方、ホルモンバランスの乱れや全身の衰弱を伴う難病として知られています。
くるよさんは晩年、膝の持病や心臓の手術(2009年に虚血性心疾患の手術を経験)など度重なる健康問題と向き合っていました。2015年5月28日に最愛の相方・今いくよさん(享年67)を胃がんで亡くしてからは、一人で舞台に立ち続けるプレッシャーや深い喪失感とも戦いながら、後輩の育成やイベント出演を続けていました。
関係者の証言によると、最期を迎えた病院のベッドサイドには、実の家族だけでなく、くるよさんを母親のように慕っていた後輩芸人たちが駆けつけました。息を引き取った5月27日は、奇しくも相方・いくよさんの命日である5月28日のわずか数時間前でした。「いくよちゃんが迎えに来たんやな」と劇場関係者や芸人仲間が涙を流したエピソードは、二人の切っても切れない強い絆を象徴しています。
【年表比較】今いくよ・くるよの歩みと上方漫才界への影響
女性漫才師が極めて少なかった1970年代からトップに君臨し続けた「今いくよ・くるよ」。その半世紀にわたる活動と、同時代の漫才界における立ち位置を比較データで整理しました。
| 年代・時期 | 今いくよ・くるよの主な軌跡 | 当時の演芸界の基準・環境 | 編集部の見解・評価 |
|---|---|---|---|
| 1970年〜(結成期) | 島田洋之介・今喜多代へ弟子入り。1973年に正式コンビ結成。 | 演芸界は男性社会が中心。女性コンビは色物や添え物扱いが多かった。 | 体型いじりを逆手にとり、互いを引き立て合う対照的なビジュアルスタイルを確立。 |
| 1980年代(漫才ブーム) | 『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』等に出演。上方漫才大賞など主要賞を総なめ。 | テンポの速い東京発の漫才ブームが席巻し、若手男性コンビが台頭。 | 関西正統派のしゃべくり漫才と強烈なキャラクター性で全国区の人気を獲得。 |
| 1990年代〜2000年代 | 「どやさ」が大流行。全国のバラエティ番組で唯一無二のポジションを確立。 | バラエティ番組の細分化が進み、ひな壇トークやリアクション芸が主流化。 | くるよさんの派手な衣装と包容力あるキャラクターが「大阪のお母ちゃん」像として定着。 |
| 2015年(いくよさん逝去) | 相方・今いくよさんが胃がんで逝去。くるよさんはピンとして活動継続。 | コンビの一方が他界した場合、引退やフェードアウトを選ぶ芸人が多数。 | 深い悲しみを抱えながらも「いくよ・くるよ」の看板を背負い、後輩の舞台を見守り続けた。 |
| 2024年〜(追悼と継承) | 5月27日、くるよさん逝去。同年8月になんばグランド花月で「お別れの会」開催。 | 昭和・平成のレジェンド芸人の訃報が相次ぐ中、劇場の伝統継承が課題に。 | 東西を問わず数百人の芸人が参列。女性芸人の地位を切り拓いた先駆者として歴史に刻まれた。 |
【ルーツ検証】「どやさ」誕生秘話と高校ソフトボール部からの絆
二人の出会いは、京都明徳高校(現・京都明徳高等学校)のソフトボール部にさかのぼります。細身で運動神経抜群だったいくよさんがピッチャー、体格がよく声の大きかったくるよさんがキャッチャーを務め、キャプテンと副キャプテンとして国体に出場するほどの実力派バッテリーでした。
高校卒業後、くるよさんは短大を経て大手電機メーカーにOLとして勤務、いくよさんは別の会社で働いていましたが、いくよさんの強い誘いによって1970年、上方漫才の名門である島田洋之介・今喜多代に入門します。厳しい修行時代を経て、1973年に正式デビューを果たしました。
くるよさんの代名詞である「どやさ」は、計算して作られたギャグではなく、自然発生的な口癖でした。「どうなの?」「どんなもんや!」を意味する京都・関西の方言「どうやさ」が変化したもので、楽屋や舞台袖で「今日のお客さん、どやさ?」「衣装、どやさ?」と周囲に声をかけていたものが、そのまま舞台上のキラーフレーズへと昇華したのです。
お腹を両手で叩きながら「どやさ!」「よー喋るわ」「ええ運動になったわ」と連呼するくるよさんの芸風は、自身のふくよかな体型をポジティブな笑いに変える画期的な発明でした。容姿を卑下するのではなく、圧倒的な明るさと自己肯定感で客席を巻き込むスタイルは、現代の女性芸人たちにも多大な影響を与えています。
【人情伝説】中川家ら弟子・後輩が明かした素顔と遺された名言
今くるよさんを語る上で欠かせないのが、後輩芸人たちに対する桁外れの面倒見の良さです。直弟子の今かつよさんだけでなく、吉本興業の若手芸人全体を「自分の子ども」のように可愛がっていました。
特に中川家(剛さん・礼二さん)との絆は深く、剛さんがパニック障害で舞台に立てなくなった休養期、くるよさんは毎日のように電話をかけ、「剛、肉食べや!」「ええ服着て、劇場に来るだけでええからな」と励まし続けました。劇場復帰後も、舞台袖で出番を待つ中川家のポケットにそっと数十万円の入った封筒を忍ばせ、「これでうまいもん食べなさい」と背中を押した逸話は有名です。
吉本興業の若手芸人たちの間では、「くるよ師匠に飯を食わせてもらったことがない者はいない」とまで言われました。高級焼肉店に若手を何十人も引き連れて行き、誰に対しても「よー頑張ってるな、どやさ!」と声をかける。その姿は、芸人の世界における「粋」と「情」そのものでした。
くるよさんが遺した数々の言葉の中でも、後輩たちの胸に刻まれている名言があります。
「舞台でお客さんを笑わせるんやない。お客さんと一緒に笑うんや。愛されようと思ったら、まずこっちが全員を愛さなアカン。」
この哲学があったからこそ、彼女の漫才には一切の毒気がなく、老若男女すべてを幸福にする温かい笑いが宿っていたのです。
【実態検証】ネットの誤解と「お別れの会」で示された圧倒的求心力
ネット上では時折、「晩年はどのような生活を送っていたのか」「相方を失って引退状態だったのではないか」といった疑問の声が見受けられます。しかし、現場の取材データや吉本興業の関係者の証言を総合すると、実態は全く異なります。
くるよさんはいくよさんの他界後も、体調が許す限りなんばグランド花月(NGK)の楽屋へ顔を出していました。若手のネタ見せに立ち会い、アドバイスを送り、劇場の空気感を肌で感じ続けることを生涯の生きがいとしていたのです。
2024年8月17日、なんばグランド花月で開催された「今くるよ お別れの会」には、西川きよしさん、桂文珍さん、中川家、ハイヒールをはじめ、東京からも多くの芸人や関係者、そして約1,500名を超える一般ファンが集まりました。祭壇には、くるよさんのトレードマークだったド派手なピンクの衣装と、いくよさんの細身のドレスが並んで飾られ、遺影の二人は満面の笑みで並んでいました。
参列した芸人たちからは悲壮感ではなく、「最後まで師匠らしく、ド派手で明るいお別れにしよう」という愛と感謝の言葉が溢れかえりました。ネット上の一部で囁かれた「孤独な晩年」という憶測は完全な誤りであり、彼女は最期まで多くの仲間と愛に包まれた人生を全うしました。
【プロの視点】昭和の女性漫才師から学ぶべき「息の長いタレント性」
今いくよ・くるよが半世紀にわたり第一線で愛され続けた理由は、単なるギャグのインパクトだけではありません。「互いの欠点を愛嬌に変える関係性」「時代に流されない基本の技術(しゃべくり)」「周囲への惜しみない還元と人間力」という3つの要素が完璧に揃っていたからです。トレンドの消費スピードが極めて速い現代のメディア環境において、彼女たちの生き様はすべてのエンターテイナーにとって普遍的な教科書と言えます。
【今くるよ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今くるよさんの正確な死因と亡くなった日時は?
A1:2024年5月27日午後9時19分、大阪市内の病院で「膵(すい)神経内分泌腫瘍」のため亡くなりました。享年76(満76歳没)でした。
Q2:相方の今いくよさんとはどのような関係でしたか?
A2:高校時代のソフトボール部でバッテリー(いくよさんが投手、くるよさんが捕手)を組んで以来、50年以上の付き合いでした。ビジネスパートナーを超えた親友・戦友であり、くるよさんはいくよさんの命日(5月28日)の前日に旅立ちました。
Q3:トレードマークの「どやさ」の意味は?
A3:京都弁の「どうやさ(どうですか・どんなものですか)」が語源です。日常会話の口癖から生まれ、後に衣装やお腹を叩くアクションと組み合わさって全国的な大人気ギャグとなりました。
Q4:直弟子や特に可愛がっていた後輩芸人は誰ですか?
A4:直弟子には今かつよさんがいます。また、後輩芸人では特に中川家(剛さん・礼二さん)を実の息子のように可愛がり、病気療養中も物心両面で手厚くサポートし続けました。
まとめ:昭和・平成を駆け抜けた女性漫才のパイオニアが遺したもの
今くるよさんは、相方の今いくよさんと共に、女性芸人がまだ少なかった時代に自らの力で道を切り拓き、日本中に笑顔と元気を届け続けた偉大な漫才師でした。ド派手な衣装と「どやさ!」の掛け声の裏には、緻密に計算された話芸と、誰に対しても分け隔てなく注がれた深い愛情がありました。
病魔によって肉体はこの世を去りましたが、彼女が遺した漫才の真髄と温かい人間性は、弟子や後輩芸人たちの中にしっかりと息づいています。天国で再びバッテリーを組み、相方のいくよさんと共に大笑いしながら「どやさ!」と叫んでいるに違いありません。 (出典: 今 くる よ(Yahoo!ニュース))