【白い狼】元関脇・益荒雄の現在と病気真相!千代の富士撃破から親方退職まで
昭和の終わりから平成初期の大相撲界で、精悍な顔立ちと鋭い立ち合いから「白い狼」と称され絶大な人気を博した元関脇・益荒雄(ますらお)。横綱・千代の富士を破るなど数々の金星を挙げ、土俵に旋風を巻き起こした姿は今なおオールドファンの記憶に鮮烈に焼き付いています。
現役引退後は年寄・阿武松として阿武松部屋を興し、多くの関取を育て上げる名指導者として手腕を発揮しましたが、志半ばで日本相撲協会を退職しました。激闘の現役時代から親方退職の真相、そして現在の様子まで、詳細な情報をもとに紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「白い狼」と恐れられた元関脇・益荒雄は、現在も持病である血液疾患の療養を優先し、静かに家族と穏やかな生活を過ごしている。
- 要点2:千代の富士を破るなど土俵を沸かせたが、怪我により29歳で引退。その後創設した阿武松部屋では阿武咲らを育て名門へと押し上げた。
- 要点3:2019年の相撲協会退職と師匠交代は血液疾患の治療専念が理由であり、その不屈の闘志と指導哲学は弟子の阿武松親方(元幕内・大道)らに受け継がれている。
【2026年最新】元関脇・益荒雄の現在と病気療養の経過
日本相撲協会を退職して以降、公の場に姿を現す機会が少なくなった益荒雄(本名:手繰広生=たぐり・ひろお)の現在について、体調や近況を気にかける相撲ファンは少なくありません。
関係者筋の最新情報によると、退職の直接的な契機となった血液疾患(骨髄異形成症候群などの難治性疾患)の治療を最優先に据えながら、千葉県内の自宅を中心に静養を続けています。一時期は入退院を繰り返す厳しい病状にありましたが、現在は適切な投薬治療と療養生活によって体調は小康状態を保っており、家族の温かい支えを受けながら平穏な日々を送っています。
土俵から身を引いた後も相撲への情熱が消えることはなく、テレビ中継を通じてかつての愛弟子たちの取組を熱心に見守る姿が伝えられています。角界の表舞台からは退いたものの、その存在は今もなお弟子たちの心の支柱であり続けています。
「白い狼」と呼ばれた現役時代|千代の富士を破り旋風を巻き起こした経歴と成績
福岡県田川郡糸田町出身の益荒雄は、中学卒業後の1979年(昭和54年)初場所に押尾川部屋から初土俵を踏みました。小兵ながら筋骨隆々の鍛え上げられた肉体と、相手を一気に押し込む鋭い踏み込みを武器に番付を駆け上がります。
益荒雄の名が一躍全国に轟いたのが、新小結として迎えた1987年(昭和62年)春場所でした。初日に当時無敵の強さを誇っていた大横綱・千代の富士を電光石火の立ち合いから寄り倒し、館内を熱狂の渦に巻き込みます。この場所ではさらに大関・小錦や横綱・双羽黒をも撃破する大活躍を見せ、10勝5敗の好成績で殊勲賞と技能賞をダブル受賞しました。
色白で彫りの深い端正な顔立ちと、獲物を狙う野獣のような鋭い眼光から「白い狼」の異名を取り、昭和から平成への転換期を代表する人気力士として角界を席巻しました。最高位は西関脇まで上り詰め、幕内通算23場所で三賞を5回獲得するなど、数字以上のインパクトを球界に残しています。
29歳での現役引退|度重なる怪我と真っ向勝負の代償
ファンを熱狂させた益荒雄でしたが、その現役生活は常に激しい負傷との闘いでもありました。立ち合いで頭からぶつかり、真っ向から相手を押し切る愚直な取り口は、自らの身体にも大きな負担を強いることになります。
特に右膝の靭帯断裂や首の負傷(頸椎損傷)は深刻で、幾度となく休場と幕下陥落を経験しました。不屈の闘志で再入幕を果たす不屈の姿はファンの涙を誘いましたが、満身創痍の肉体は限界を迎えていました。
そして1990年(平成2年)名古屋場所、29歳の若さで現役引退を表明。怪我さえなければ大関、さらにはその上を狙えた器と評された天才肌の力士だっただけに、早すぎる引退は角界全体に大きな衝撃と惜別の声をもたらしました。
阿武松部屋創設と弟子育成の手腕|阿武咲ら関取を輩出した指導哲学
現役引退後、年寄名跡「錣山」を経て「阿武松(おうのまつ)」を襲名した益荒雄は、1999年(平成11年)に押尾川部屋から分家独立し、千葉県習志野市に阿武松部屋を創設しました。
親方としての指導方針は「礼儀作法と真っ向勝負の徹底」でした。自身の現役時代の教訓を生かし、稽古場では基本となる四股や摺り足を徹底させるとともに、相撲界で最も礼節を重んじる部屋作りを推進しました。
その指導哲学は実を結び、部屋からは以下のような実力派関取が次々と誕生しました。
- 大道(現・阿武松親方):粘り強い取り口で幕内で活躍
- 若荒雄:鋭い突っ張りを武器に小結まで昇進
- 益荒海:師匠譲りの激しい押し相撲を展開
- 阿武咲:師匠仕込みの突き押し相撲で三役へ定着
一代で阿武松部屋を関取をコンスタントに輩出する名門へと育て上げた手腕は、日本相撲協会内でも高く評価されていました。
阿武松親方退職と師匠交代の真相|血液疾患との闘病と決断
名伯楽として部屋の指導に情熱を注いでいた益荒雄でしたが、2010年代半ば頃から体調不良を訴える場面が増えていきました。精密検査の結果、重い血液疾患を患っていることが判明します。
本人は病状を隠しながら指導を続けていましたが、貧血や極度の倦怠感により本場所の土俵下での勝負審判業務や、毎日の朝稽古の指導に立ち会うことが困難になっていきました。「中途半端な体勢で弟子を指導することはできない」という強い責任感から、師匠の座を退く決意を固めます。
そして2019年(令和元年)9月場所後、阿武松部屋の師匠の座を愛弟子である元幕内・大道(中尾浩規氏)へ禅譲し、自身は日本相撲協会を退職しました。まだ58歳という若さでの退職は、弟子たちの将来と自らの命を天秤にかけた苦渋の決断でした。
益荒雄を支えた家族|妻の献身と相撲道を歩む息子の存在
現役時代の過酷な土俵生活、そして部屋創設から闘病生活に至るまで、益荒雄の人生を陰で支え続けたのが妻・奥様の存在です。相撲部屋のおかみさんとして、数十人におよぶ弟子たちの食事の管理や精神的ケアを一手に引き受け、親方が病に倒れてからは献身的な看護で家庭と部屋を支え抜きました。
また、益荒雄の家族・息子も父の背中を見て育ちました。長男の手繰治樹(たぐり・はるき)氏は、父と同じく相撲の道に進み、高校・大学のアマチュア相撲界で活躍。父譲りの恵まれた体格と勝負度胸を発揮し、指導や実業の分野で相撲界に関わり続けています。
家族の深い絆があったからこそ、益荒雄は過酷な大相撲の世界で輝かしい足跡を残し、現在も難病に立ち向かうことができていると言えます。
【益荒雄】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:元関脇・益荒雄の現在の健康状態はどうですか?
A1:2019年に退職の理由となった血液疾患の治療を現在も継続しています。一進一退の療養生活ではありますが、家族の手厚いサポートのもとで体調をコントロールしながら穏やかに過ごしています。
Q2:千代の富士戦で勝利したときの決まり手は何でしたか?
A2:1987年(昭和62年)春場所初日、益荒雄は立ち合いから一気に攻め込み、横綱・千代の富士を「寄り倒し」で破りました。この勝利を皮切りに大旋風を巻き起こしました。
Q3:現在の阿武松部屋の師匠は誰ですか?
A3:益荒雄の直弟子である元幕内・大道(中尾浩規氏)が年寄・阿武松を襲名し、師匠として部屋の運営と力士の指導を引き継いでいます。
まとめ:土俵に刻んだ魂と受け継がれる「阿武松」の精神
「白い狼」として昭和・平成の相撲界に鮮烈な光を放った益荒雄。度重なる怪我による早期引退や、志半ばでの病魔による親方退職など、その相撲人生は試練の連続でした。
しかし、土俵で見せた真っ向勝負の気迫と、阿武松部屋で培われた礼節と闘志のDNAは、現在の師匠である阿武松親方や阿武咲をはじめとする力士たちの中にしっかりと息づいています。土俵を沸かせた白い狼の伝説は、これからも大相撲の歴史の中で色あせることなく語り継がれていくはずです。 (出典: 益 荒 雄(Yahoo!ニュース))